【その3】講師の自己紹介 はしびと式へアデザインスクール5月5日開校予定!

皆様おはようございます。

前回の自己紹介はこちらをご覧ください。

前回のお話の最後だけ以下に掲載しておきます。


Masatoに関してはこちら。

Masatoはパリでボーグ・マリクレール・エルといったファッション雑誌のヘアを担当していました。

日本ではヘアー&メークと一人の美容師が2役を担当しますが、パリは別々に分かれており、メークアップはWinstonという香港の方が担当していました。

私たち国内のヘアメークチームとパリから来日したMasato率いるヘアとメークの担当チームが共同作業でMasatoの指示に従い、Masatonoアシスタント業務を兼ねてショーのバックステージを担当していました。

東京コレクションの最終日についに運命の導きがありました。

それは私の25年間の運命を大きく変えてしまうような出来事でした。

それは・・・


メークアップアーティストのWinstonから「うちに来ないか?」と誘われたのです。

そうです!なんと光栄なことにParisのManiatisのスタッフにマニアティスに入社しないかと言われてしまいました。

前回の記事でも書きましたが、マニアティスはコーセー化粧品とタイアップして、マニアティスジャポンとして日本国内にフランチャイズ展開をしようとしている矢先でしたので、日本国内の優秀な美容師をヘッドハンティングしていたようです。

またその知名度から多くの美容師の憧れでもあったために、都内の有名サロンから続々と応募してきたそうです。

憧れのチームと一緒に仕事ができることにすっかり舞い上がってしまいました。

しかし入社するには一つの大きな関門がありました。

マニアティスジャポンに入社するには最低半年間無報酬でパリのサロンで働かなければならないというのです。

基本的にはMasatoのアシスタントをしながら、パリで雑誌やCMの撮影現場で働き、Masatoが日本に来日したり、ブラジルなどへマリクレールなどファッション誌の撮影でロケに行っている間は、パリのサロンで働くという条件でした。

1987年パリのアパートで撮影したDr.Shirou。

私は駆け引きなしで二つ返事で「頑張ります!」と答えましたが、現実問題怠惰な生活で放漫に生きていいたことがこの後大きく災いします。

要するに貯金という概念が私にはなかったのです。

つまり銀行口座には一円もなく、手金もなく、親からも友人からもお金を借りられるような状態ではなかったのです。

パリに行くためには最低でも20万円程度の旅費が要りますし、パリで生活もしなければなりませんので・・・

ええ、どう考えても1文無しの私がパリに行って半年間無報酬で働くなんで無理な話でした。

ところが当時の私には、そんな無理難題なことが何一つ気になりませんでした。

私が気にしていたことは、「どうやったらパリに行けるか?」だけでした。

まず最初に、部屋にあったテレビやビデオデッキや金目の物は全て中古品として販売し現金に換えました。

売れるものは全て売って、借りられるものは誰彼構わず借りて、ようやくパリ行き片道切符代金の都合できたので、早速飛行機のチケットを購入しました。

高額商品買取イメージ。

アラスカ経由での乗り換え便だと、直行便よりもかなり安かったのでそういうルートを選びました。

パリに到着して、最初に探したのはもちろん宿泊施設です。

パリのホテルは一つ星から3つ星まで分かれており、一つ星のホテルは汚くて安い物でしたので、Masatoの家に近いところでホテル暮らしを始めました。

当時から治安も悪く、日本人の観光客は小綺麗なファッションをしているためひったくりや置き引きなど軽犯罪が多いようでしたが、私は古着に安物のバックパックしか持っていなかったのでそういう経験はありませんでしたが。

パリの安ホテルのイメージ画像。

Masatoの周りには数名の日本人がパリに在住していました。

カメラマン・カメラマンのアシスタント・スタイリスト・メークアップアーティストなどの職業の方が居ました。

Winstonともパリ市内で何度か食事をして近況報告をしていました。

それから3週間ほど安いホテル暮らしをしながらパリのレアールという駅構内にあるマニアティスで働いていました。

働くといってもフランス語もほとんど話せないので、スタッフの仕事を見て、床を履いたりお客様の髪を乾かすブローのヘルプのようなことをしたりしていました。

時間がある時にはビデオ室という部屋があったんで、数百本並ぶジョンマルク・マニアティス本人の講義動画、カット動画を見ながら勉強していました。

この当時のビデオ室で実に多くの動画学習の時間を使いました。

マニアティスの動画学習室にあったVHSビデオテープのイメージ画像。

今回オンラインスクールを開催する動機の一つに、パリで私自身が動画学習と実技と両方で腕を磨いた経験が大きいと思います。

夜の終業後にカットモデルを切る練習会があり、東京とは違ってカットモデルは全てサイン側が準備していました。

エフィラージュという技法で、モデルも美容師も立ったままカットをすることが基本でした。

エフィラージュはフランス語で削るという意味合いがあり彫刻をするようにカットするという意味です。

お客様(人頭モデルも同様)が来店すると、最初に大きな鏡で立ったままカウンセリングをします。

その後お客様は(カットモデルも同様)更衣室でガウンに着替えてカット開始という順番です。

ガウンに着替えるのは、襟元など嵩張った洋服では綺麗な襟足のカットができないという理由です。

他にも衣服を汚さないようにという意図もあります。

驚くことに、働いていた数十名のスタイリストのほとんどはカットの所要時間が2時間程度と驚くほど時間をかけていました。

私は東京でスタジオVでブラントカットを1年間びっしりと習った後で、ショートボブ・ショートレイヤー・ロングレイヤー全て20分程度でテストされていましたので、その時間的なギャップにまずは驚きました。

東京の渋谷・原宿にあったスタジオVのカットが5000円程度だったことからもマニアティスのカット料金が非常に高いことがわかります。

パリのマニアティスの当時の日本円でカットは7000円〜1万円程度だったようです。

当時のマニアティス・ジャポン1号店である銀座店で7000円のカット料金でした。

どうして立ったままカットするのかと言うと、姿勢と関係しているようです。

前屈みになりやすい座り姿勢よりも、まっすぐと立った姿勢では肩の上がり具合などが自然の状態という話です。

つまり立ち姿こそが自然であり自然であるので、自然なスタイルのままカットすることで美しいカットデザインが完成するのだというわけです。

立っている姿こそ自然で美しいからたったままカットするマニアティス。

座ると肩がすくみ、首が短くなるので自然で美しい立ち姿と比べると、正確なカットにならないというわけです。

日本では流石に立ったまま2時間も髪をカットするわけにはいかないので、私は座ったお客様を美容師が立った状態でカットすることが多く、お客様を立たせてはカットしていませんが、本当はそうしたい気持ちはありました。

日本の美容業界特有なのかもしれませんが、美容室へ来店する多くの客様はヘアスタイル+リラクゼーションを求めているように思います。

当店でもヘッドスパは人気ですが、デザインとは関係ない癒しという価値観を持っているのが日本的な美容室に求められるものかも知れません。

なのでリラックスしながらカットするという意味では日本では、お客様は座って、美容師は立って切り、時にネープなどの低い位置のカットの時には美容師も座って切ることが良いかもしれませんね。

お客様も立っている姿の方が美しいですが、美容師も然りです。

皆さんも座ってカットしている自分の姿を鏡に映して見て、今度は立ってカットしている自分の姿を比べて見てください。

おそらく立ってカットしている美容師の姿の方が美しいと感じるのではないでしょうか?

私はそういう理由で基本的にカットは立って施術するようにしています。

話を経歴に戻しますが、そうして半年間サロンで働きながら、Masatoの撮影の現場でアシスタントする日々が続いて行きました。

1988年26歳で帰国して33年が過ぎました。

美容室の経営は22年間で、美容師人生は17歳の美容学校入学時から数えると43年目となります。

パリのマニアティスから帰ってから、ここでは描ききれないほどいろんなことがあり、波乱な時代を過ごしてきましたが、ここでは割愛します。

1991年に帰郷して宮崎県の宮崎市内で美容室を新規開業して初めて経営者となりました。

美容師と経営者は全く違う感覚の仕事です。

わかったことは、良い美容師と言われる腕の良い職人が必ずしも経営者として向いているわけではないということです。

また腕は普通でも接客や経営が上手で商売が繁盛することもあります。

そういうように美容師の技と経営手腕は別物です。

また他にもいくつか要素がありますが、大きな問題としては人間性や人格の問題は大きいでしょう。

例えばクレーム処理や苦情処理なども人格と関係しています。

人柄が良くて、謙虚な美容師なら苦情を上手に処理できるでしょうし、お客様も苦情を言いやすい環境となりますので、良い人間関係が続く可能性が高くなります。

逆に心が狭く、自分の腕に自信があることでかえって苦情を素直に聞き入れなかったり、手直しなどの苦情に対して甘んじて受け止めることができない人もいます。

私も経営者として22年間様々な美容師を育成して来ましたので、何が原因でこの美容師が売上を上げれないのか?1日仕事を共にするだけでわかります。

どうして失客率が高いのかわかります。

22年間会社として社長業兼美容師をして、急激な事業の拡大で2006年に一旦自社ビルを売却して、倒産、自殺未遂、破産、離婚を経て、人生のどん底を味わうことになりました。

事業に失敗して失望の最中にある自分のイメージ画像。

人生は成功と失敗が入り乱れていて、成功している時に失敗の種が蒔かれ、失敗の時に次の成功の種が蒔かれます。

より多くの失敗を経験した人は、より多くの挑戦をしてきた人とも言えるでしょう。

理想的には成功の時に謙虚さや感謝を忘れずに精進したものは、成功が長く続くことが多いと思いますが、その逆に成功の時に感謝を忘れ、成功の手柄は全て自分一人のもので、失敗したら全部人のせいや環境のせいにしてしまうことで失敗がさらなる失敗を呼んでいきます。

まさに引き寄せの法則です。

それから昨年の2020年の山梨県山中湖村での美容室の新規開業まで波乱続きでしたが、やはり大切なことは不撓不屈の精神で、挑戦し続けることであると考えています。

失敗を潔く認め、反省をし新たな挑戦をすることが大事です。

最初の美容室の失敗が美容師としての失敗というよりも、経営者としての資質がなかったというのが結論です。

放漫経営や浪費癖など災いし、誠実さや誠意という基本的な自助努力の精神を蔑ろにした結果の倒産でした。

美容師としては指名も多く売り上げもありましたが、収入以上に浪費したり、そもそもの事業計画が無茶苦茶だったりしたことで、結果的に成功していた大好きな美容師さえも失うことになりました。

美容室を閉店して6年間はリゾートマンションの住み込み管理人をしながら、休日に身体障害者や高齢者の自宅に出向き、カットやカラー・パーマをしていました。

美容室を閉鎖してサロンや住むところさえも失い無一文で失意のどん底の時に、立ち上げたサイトがこちらです。

訪問美容おくりがみ


また美容師ではなくなってからは、WEBデザインの勉強や、ロゴデザインを競う多数のコンペに出場したりしてデザインの勉強に励みました。

その当時制作したサイトはこちらです。

超・初心者のAdobe Cloudデザイン制作


そして、不死鳥のように蘇り、再び美容室を再開した現在進行形のサロンのサイトがこちらです。

はしびと美容院

最後に事業を失敗して手に入れたものは、人の優しさでした。

本当に愛のある人は相手がどういう失敗をした時でも手を差し伸べてくれますし、そういう時に共に生きてくれる人は本当に愛情深い人ですし、本当の友情、本当の絆のある人です。

また他にも失敗したことで、私自身も他人に対して優しくできるようになりましたし、他人の心がわかるようになりました。

成功していた時にはわからなかった人の心の痛みがわかるようになりました。

苦しみや悲しみを共有し、相手の心を癒してあげたいと思える優しさが自然に備わったように思います。

きっと成功ばかりで失敗経験が少なければ、多くの方々の心に寄り添うことは出来なかったでしょう。

ということで、はしびと式ヘアデザインスクールの講師:Dr.shirouの経歴を一旦この辺りで終わります。

次回は講義内容についてお話ししたいと思います。

最後までご視聴いただきまして誠にありがとうございます。

Dr.Shirou


はしびと式へアデザインスクール5月5日開校予定!講師の自己紹介【その1】はこちら

はしびと式へアデザインスクール5月5日開校予定!講師の自己紹介【その2】はこちら


一学期の講義内容についてはこちら

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